昭和30年代からつくりあげていった総合建設業の体制が完成したのが40年代です。
多くの技能者・技術者を抱え、車両や重機への投資も積極的に行い、鉄骨や生コンも直営化しました。
主要部分をできるだけ直営で行う方法は、技術や品質の向上、安定につながり、ますます信用を高めていきました。
工場、学校、病院などに加え、昭和46年には、団地造成という大型工事が増えていきます。
この頃から都市下水の整備も始まり、建築・土木とも好調に業績を伸ばしていきました。
ところが昭和48年、どこまでも好調に思えた日本経済を激震させる出来事が起こりました。
第一次オイルショックです。武田組においてもその影響から逃れることはできず、最大の悩みが資材調達の難しさでした。
この危機を乗り越えることができたのは、各仕入れ先の大変なご協力によるものであったことは忘れることはできません。
オイルショックは、武田組の創業以来、初めてぶつかった大きな壁でしたが、それもまた良き教訓としてその後の経営にいかしていきました。