昭和20年2月、太平洋戦争から復員した武田二郎は、父から仕込まれた建築業で身を立てることを決意し、実業家としての第一歩を踏み出しました。
創業後、半年で終戦を迎えるという波瀾のスタートでしたが、むしろそれが彼の使命感を奮い立たせることになります。
戦後間もないある日、郷里を一望するため福山城に登った彼が目にしたのは、愛する故郷が、無残な焼け野原となった姿でした。
「建築という仕事を通じて、この傷ついた故郷と人びとの役に立ちたい」熱い思いが、彼の胸を一杯にしました。
持って生まれたバイタリティと親分肌ともいわれるリーダーシップ。自らが先頭に立ち現場を奔走する二郎とともに武田組の名は地域に広まっていきます。
福山護謨工業、菱備製作所(現リョービ)など、現在の地域を代表する企業にも愛顧され、工場、学校、保健所、変電所など官民の大型工事を次々と受注していきました。
昭和20年代の武田組は、まさに戦後復興と共にその歴史の幕をあけたのです。