「もはや戦後ではない」と言われた昭和31年、
池田内閣が所得倍増計画を打ち出した昭和35年、
そして昭和39年に東京オリンピック。
武田組も地域経済の成長にのり、大きな変革を遂げていきます。
昭和32年、地元企業では最先端の技術力を誇るようになった武田組は、初の鉄筋コンクリート建造物を造ります。3階建の菱備製作所女子寮でした。
この後、公共工事や工場の大型化に伴い、武田組の技術力、品質管理が高く評価されていきました。
昭和33年には、県東部初の公認プールを府中高校に造りました。公認プールは記録をとるため、たいへん規格が厳しく、高い精度が必要です。
丁度、学校の施設としてプールが導入され始めた時期ともかさなり、以後、多くのプール工事を受注しました。
30年代中盤から道路整備等土木工事の受注も増加し、総合建設業としての体制が整っていきました。
30年代は、武田組にとって量はもちろんですが、質の向上が著しく最初の「技術革新の時代」といえるものでした。